FOREST CULTURE

木流し

― 山と川をつないだ、地域の森林文化 ―

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森のものがたり

かつて吉田升沢地区では、山で伐り出した木材を川の流れを利用して下流へ運ぶ『木流し』が行われていました。

升沢で行われていた木流しは、荒川(色麻町に入ると花川となる)を流し、花川(荒川)が鳴瀬川に合流する手前、現在の色麻町まで木材を運び、荷揚げするまでの一連の作業を指します。

木流しは、現在のように林道や車両による運搬ができなかった時代に、山間地域の人々が木材を運ぶために行っていた、地域の暮らしと深く結びついた伝統的な仕事でした。

升沢地区で木流しがいつ頃から始められたのかは明らかではありませんが、安政5年(1858年)の資料が残されていることから、その起源は江戸時代にまでさかのぼるとされています。

木流しの方法

木材は山中で伐り出された後、沢や川まで運ばれ、一定の水量が確保された時期に、川の流れを利用して下流へと流されました。

その途中には、木材を流しやすくするために「堤」を設けるなど、川の水を巧みに利用する工夫が施されていました。また、流された木が川岸などに引っ掛かった際には、人が川に入り、木を動かしながら流れをつないでいく作業も行われていました。

当時の木流しは、おおむね次のような流れで行われていたとされています。

  1. 1月~3月
    山に入り、木を伐り出す。
  2. 3月中旬
    沢筋に「堤」を造り、そこに水をため、その水量を利用して木材を集落近くまで流す。
  3. 3月下旬~5月
    木材を一旦揚げて乾かす。
  4. 5月
    再び木材を川に入れ、途中、欠入集落で一泊しながら下流へ流す。
  5. 下流の四籠・一の関付近
    木材を揚げ、引き渡す。

木流しを支えた「堤」

川をせき止める「堤」は、長さ3~4mほどの丸太を組み合わせて造られ、丸太の隙間には木片や土、苔などを詰めて水が漏れにくいようにしていました。

また、中央部分には丸太ではなく板を当てるなど、水をため、必要なときに一気に流すための工夫が施されていました。

丸太を組み合わせ、水をためて放水する堤の模式図
【堤の模式図】
※出典:『升沢にくらす』(平成15年3月 宮城県大和町教育委員会・東北民族の会)

この堤に水をため、木材を流すために一気に放水する「山出し」は、木流しの中でも特に壮観な作業だったと伝えられています。

当時の様子について、次のような言葉が残されています。

「水を溜めてスポーンと抜くっつうど、木を押してくる。水は見えねぇで、木ぃばり見える。木ぃ一緒んなってまくれでくんだよ。それが見事なんだよ。そんときはみんなして騒いでね」

水が一気に流れ出し、その勢いに押されるように木材が一斉に川を下っていく様子は、当時の人々にとっても印象深い光景だったことがうかがえます。

地域の人々に支えられた木流し

木流しは、単に木材を運ぶための作業ではありませんでした。

山に入り、木を伐り、川まで運び、流すという一連の仕事には、多くの地域の人々が関わっていました。

また、山での仕事や川での作業に必要な道具や食料なども地域の中で準備され、木流しを中心とした暮らしが営まれていました。

このように木流しは、山と川、そして地域の人々の暮らしをつなぐ営みでもあったのです。

木流しの記録

『升沢にくらす』(平成15年3月、宮城県大和町教育委員会・東北民族の会)には、木流しが行われていた当時の作業の様子や使用された道具、木材を流した経路などが記録されています。

こうした記録は、かつて地域の森林がどのように利用され、人々の暮らしを支えていたのかを知ることができる、貴重な地域文化の資料です。

現在へつながる森林文化

現在では、林道やトラックによる木材運搬が一般的となり、木流しが行われることはなくなりました。

しかし、先人たちが山と川を巧みに利用し、森林の恵みを暮らしに生かしてきた歴史は、現在の森林管理にもつながっています。

木流しの歴史を後世に伝えることは、地域の森林文化と、山を守り育ててきた人々の歩みを伝えることでもあります。

山を造り、山を守る。

その歩みの背景には、山と川を舞台に、森林とともに暮らしてきた先人たちの知恵と営みがあります。

川の流れを利用して木材を運ぶ木流しのイメージ
木流のイメージ
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